お金を借りるということ


借金の偵察のために銀行を訪れたオットは、銀行の窓口のおねーさんと険悪な状況に陥ってしまった。
融資に関するやり取りに、互いに言葉足らずや、知識や理解に不統一があったとは云え、
「申し込まないと教えられない」との返答に対し、
「当然、審査はあるにせよ、私たちも自分たちに一番有利な銀行を選びたいのだから、事前に判断基準となるような情報がほしいのだ、そのために来ているのだ」と云うと、

「そりゃそーでしょ、どーぞドーゾ、他行も検討、ドーゾどーぞ、しっかり比べてください、そりゃそーでしょ」
とも云わんばかりの態度に、なおさらオットは大人気無いと思いつつ、熱くなってしまったようである。


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そんなことがあったにもかかわらず、わたしたちは、オットが憤慨した例の銀行へ申し込みに行った。
(憤慨はしたものの、悔しながら、利率が一番有利だったので。借りる身の弱さだ…トホホ)

申し込みには、オットと私と二人で出向いたのだが、申し込み前のお問い合わせのときにそんな状況であったので、妙に気合が入っていた。(肩に力がはいってるぞ、二人とも!)
受付は、オットが憤慨した彼女であった。

銀行は、別段えらいわけではないのだぞ。

とは云え、どうしても、銀行に優位にたたれているような感じがする。
お金を借りる、ということはこんなことなのか?と疑問に思うのであった。

とにかく、気持ちの上で対等ではないような気がするのである。
モノを売る、買うのマーケットと別段変わらないだろうに、モノが「お金」となると、なんだかちょっと状況が違うんだなあ…。

しかし、考えてみれば、住宅ローンというのは、20年や30年の間に、返済額が元金の1.5倍にも膨れ上がる恐ろしい罠(金利とも云う)を持ったシステムである。
私たちって銀行にとってすごい「お客サマ」ではないか!
(払うべき利子を計算して、現金さえあれば…!もったいねー!と思わず声をあげてしまいました。)

下手な貯金より、こっちのほうが銀行の利になるのではないだろうか。
いやっ、ゼッタイなるハズだあ。

なのに待てよ。
預金の時は、ティシュペーパーであってもとりあえず粗品をくれるのに、お金を借りても、なんにも景品をもらってないんじゃない?

もしかしたら、「お金を貸した」と「お金を借りた」という両者の関係は、実はあの銀行の融資カウンターを境に、丸腰の小市民と、完全物騒(武装)の銀行サマが対峙する風景にて既に勝負あったようなモノなのかもしれない。
借りる側は、カウンターの外側で「どうにか貸してください〜」という気持ちでいっぱいになり、
貸す側は、大勢の仲間と、これも多くのコンピューターや電卓、ペンや書類をバックに、「そんなに貸してほしいか、オラ。」という有利な立場を最初から獲得してるし、そんな空気がいつのまにか両者を包み込んでもおかしくない舞台設定になっているんです。
(お互いの「気持ちの中」での話しで、別に銀行がそういう態度をとっている、というわけではないですよ、念のため)

借り手側の気持ちに、どこか「駄目だよ」と断られたら困る、というところがあるだけに、銀行を比較して決めよう、という普通の「買い手」の意識が薄くなる、と貸し手の側は、そう簡単に他のトコロに行くはずがない(行けないだろう)、という気持ちになる、というお互いの相乗効果(?!)によって生まれる空気なのかもしれない。
しかるべき「審査」をクリアし、しかるべき「利子」を払って借りる「住宅ローン」の保有者たちは、前向きな「借金者」であり、銀行にも「借りてやっている」という気持ちでいいのだ!

わたしたちは、銀行にも負けないぞ!景品もくれい!!


でも、結局のところ、単なる「ヒト」の問題が大きいような出来事だった気もするよ。
そのときの担当者の「人当たり」がやわらかければ、こちらもそんなに気張ることなく、こんなことも考えなかったのかもしれないなあ、とも思うのである。


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