お互いのために別れましょう


ある日、メールがきていた。
ある工務店からである。

文通相手に会うような気分であった。(文通相手に会うという体験は無いが、きっとこんな感じだろうと思う。)自動車道路のインターを降りたところで待ち合わせをし、文通相手、いやメールをくれたDさんとはじめて出逢った。

そこで、わたしたちのおつきあいがはじまったのである。
わたしたちのプランと思いを伝えたところ、とても共感してくれて、お互いに検討してみましょう、ということになったのである。
何度かの打合せ、メールでのやり取り、1回だけどお酒もご一緒しながら、そこでの話の内容は、今まで逢った人たちとはとても共有できそうにない、知的でミーハーなものであったし、お互いに「カッコイイ家を創る」という想いは一緒だったと思う。

しかし、話しの進行と時間経過のなかで、どうもなにかが食い違ってきたように思えてきた。
「カッコイイ」という部分の認識というか、その感覚が、これってズレていないか、チョット。
わたしたちにとっての「カッコイイ」は、デザイン的には勿論のことであるが、その他に機能、使い勝手、品質、価格のバランスのなかで、自分たちの尺度で納得いってこそ、「カッコイイ」ことと認識されるのである。そこのところも共通認識であると思っていたのだが・・・・・。

煮詰めていった議論や思考の最後には、なにかをがまんするような決断もあるとは思っていたけれど、できるだけ知恵と工夫で乗りきろうと思っていたし、パートナーとなるヒトには、そのような知恵や工夫のヒントをもらったり、一緒に考えたりしてくれることを望んでいたのであるから、まだプランも固まらないうちから、我慢すべきことばかりになってしまっては、ちょっとこの先もっと我慢することが増えるだけのように思われ、一緒に見えてたはずのモノも再確認の必要性が感じられてきた時だった。
提案にあった車庫周りの構造ヴォリュームが機能を犠牲にしてないかとの指摘に、「この良きデザインと誇り高き我が家のため、私だったら車の出し入れのしにくさなんぞ、我慢します」とキッパリおっしゃる我がパートナーDさん。
たぶん私たちはこのとき、かなりな勢いでパートナーシップが冷めていくのを実感していた。

真面目で熱心なDさんなりの「思い」が先行してしまい、当のわたしたちはおいてけぼりを食わされてしまったようなかっこうになっていたのだ。
顧客不在のまま、Dさんは自分の「思い」に走ってしまっていた。
その熱い「思い」は、完全に私たちの「思い」から離れていってしまった。

これ以上、付き合っていてもどうにも前へは進めない。最初はちょっとだけ気になる程度のすれ違いが、いつのまにかこんなにも大きくなってしまった。
最初は、わたしたちとは向うものが同じだと思ったけれど、同じではなく、ある一部でとても近いものであったのだと思う。でも結局、もともと違っているのだから、どんどん逸れていってしまったのだと思う。
お互いのために別れましょう。
7月9日(日)正式にお断りをした。

実は、一瞬でも「同じモノのが見えるヒトとようやく出遭えた」という思いと、もしかしたらここに決まるかもしれないという予感もあったので、Dさんとの別れは結構ダメージが大きくて、ここから2ヶ月近く、新たな工務店探しに手がつかなかったのである。

でも楽しい時間をありがとう。


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